第0話 ― 地獄、騒然 ―
ここは冥府、地獄界。
罪を犯した者たちが、その罪に応じた責めを受ける場所。
焼け爛れた丘、血に濡れた河、針の山の向こう――
十殿の王が治める裁きの宮の中、今日もまた、大量の魂が運ばれてくる。
「次っ、ナカガワ・ヒロアキ! 死因、心筋梗塞。罪状、経理不正、横領、パワハラ──はい、前へ出て!」
ガチャガチャと鎖が引きずられる音。
裁きの場には、中年の男が引き出される。
背広姿のまま、地獄の門をくぐったらしい。
「お、俺はやりたくてやったんじゃねぇんだよ……部長に逆らえなくて……っ!」
「へいへい、そう言う奴ばっかりだな最近は……」
次の男も、次の女も、次の老人も――みな、口を揃えて言う。
「俺は悪くねえ……」
「私は命令されてやっただけ……」
「立場があったんだよ……」
言い訳、言い訳、言い訳。
裁きの書に目を通していたエンマ大王の筆が、ピクリと止まった。
彼は地獄の頂点に立つ、冥府の王。
しかし、近頃は奇妙な案件ばかりが続いていた。
「……最近、こうも“他人のせい”を口にする者が増えた。おかしくはないか?」
静かに立ち上がるその姿は、天を覆うほどに巨大。
配下の閻卒たちに命じて調査を始めさせると、すぐに報告が上がってきた。
「大王、大変です……どうやら、人間界に“魍魎”が出没しております」
「しかも……かつてのように自然発生した穢れではなく、“憑依型”でございます」
「……つまり、人の心に取りつき、悪意を助長させると?」
「はっ、まさにその通りでございます。多くは“企業”という組織に棲みついております。階層化、責任の分散、命令系統の曖昧さ……そこが奴らの温床に」
エンマは長い顎髭を撫でながら、深く眉を寄せた。
「放ってはおけぬな……だが、我らが直接手を出すには、冥府の秩序に干渉しすぎる……」
そのとき、背後から声が飛ぶ。
「だったら、私が行きましょう!」
スラリと立ち現れたのは、冷たい蒼の装束を身に纏った若き女性。
凛とした瞳、口元に浮かぶ微笑は、どこか寂しげでもある。
「……キョン」
「父上。私に、任せてください。人の世に“魍魎”が溢れるなら、それを断つのも我ら鬼の役目。なにより──地獄が“本来裁くべき者”を見失ってしまうなんて、耐えられません」
彼女は、エンマ大王の一人娘。
氷を司る蒼き鬼、地獄界の姫。
「では行け。お前の判断に任せる。だが、決して“魂”の回収には手を出すな。それは我らの裁きの領分だ」
「心得ております」
キョンは軽く一礼すると、宙に手をかざした。
「――鏡転生の術、発動」
目の前に水鏡が開く。
その鏡に映るのは、人間界――とある大企業「大日産業株式会社」。
無数の魂の呻き、怒号、歪んだ笑顔、偽りの評価、すり減る若者たちの背中……
(ここだ。ここに、強い“穢れ”がある)
キョンは静かに呟く。
「行ってきます、父上」
そして、鏡の中に身を投じた。
その瞬間、地上の女性社員――**松永京子(60)**の肉体に、冷たい風が走る。
目の奥が痛むような錯覚と共に、意識の底にもう一つの声が現れた。
『よろしくね、しばらく身体、借りるわ』
(……誰? 私の中に誰かが……)
『名はキョン。あなたの名前を借りて、穢れを狩りに来た――地獄の鬼よ』
◆
「へぇ〜、地上に? キョンが? それは面白そうじゃない」
別の地獄界の一角――火の滝のほとり、のんびりと尻をあぶっていたのは、赤鬼・ミヨ。
口元に肉の骨をくわえたまま、ニヤリと笑う。
「だったらウチも手伝おか。昔の同級生やしな〜、キョンだけにかっこつけさせへんで」
彼女もまた、鏡転生の術を唱える。
『ふっふっふ、暴れるん久しぶりやなあ……』
炎を纏い、彼女が飛び込んだのは――**上吉原美代子(60)**の肉体だった。
おっとり系のおばちゃんの視界に、ふいに赤い光が差し込む。
『どうも〜、ミヨやで。ちょっとの間、一緒に暮らさせてもらうでぇ』
(えっ……!? 誰かいる……誰か、私の中に……!?)
「ちょ、ちょい待ち! ウチもウチも!」
雷雲の上からバンジージャンプのように飛び出してきたのは、黄鬼・ガーコ。
雷を纏った金髪くるくる、陽気な笑みを浮かべて。
「地上でオモロいことやってんねやろ〜? なら手伝わなアカンやんか!」
彼女が選んだのは――**伏木賀津子(60)**の肉体。
部品の設計をしていた賀津子の意識に、ビリビリと走る電撃のような感覚。
『あー、ちょっとだけな! 使わせてもらうで? 礼はするから!』
(……ガー子……やっぱりアンタも来たのね)
◆
その様子を離れた場所からじっと見ていた影が、二つ。
「姫姉様が地上に……!」
「……なら、私たちも行くしかないわね」
小鬼の姉妹――エミリン(姉)とエリリン(妹)。
地獄界で生まれ、姫姉に仕えることを宿命づけられた侍女たち。
エミリンが言う。
「今のままじゃ、姫姉様がひとりで背負い込んじゃう。ね、妹ちゃん」
「当然、一緒に行くわよ。私たちは侍女だけど……同時に、盾でもある」
二人はほぼ同時に、転生の術を詠唱。
選ばれた人間は、それぞれ――
- 明るく小悪魔系な社員、福田笑加
- 無口でクールな女性社員、斎藤恵理
どちらも松永京子の部下として働く女性たち。
エミリンが福田に囁く。
『しばらく、よろしくね。お姉ちゃんになってあげる』
(へぇ……何だか、心の中が賑やかになった気がする)
エリリンが斎藤に囁く。
『姫姉様の傍に、私たちはいる。それだけは、変わらない』
(……不思議。だけど、嫌じゃない)
◆
こうして、五柱の鬼たちは人間界に転生し、
「大日産業株式会社」に潜入することとなった。
彼女たちは、まだ互いに名乗りを上げていない。
魍魎の実体が現れたときだけ、鬼としての姿を顕現させる。
普段は人間の意識の中で、静かに“共生”しているのだ。
そして、魍魎が姿を現したその瞬間――
「ミヨ、右から来るわ!」
「ガー子、ぶっ飛ばしたれ!」
「了解、姫姉様ァァァァ!!」
地獄の力が、現世を駆ける。